1862年8月22日、パリの郊外「サンジェルマン・アン・レー」という街で、1人の男の子が誕生しました。その後、フランスの文化・芸術シーンにて華やかに、時にスキャンダラスに注目を浴びることとなる彼、その名をアシル・クロード・ドビュッシーといいます。
パリ市内からRERという郊外に向かう電車に乗って20分。
駅の前にはお城も残るその街には、彼の生家が記念館として公開されています。
彼の書斎が再現された部屋には、着用していたタキシード、愛用の家具をはじめ身の回りの品、直筆譜やデスマスクなどが展示されていました。
ドビュッシーがこの家で過ごしたのはちょうど5歳になった頃まで。その後一家はパリに移りました。
アシル少年は、カンヌに住む叔母の所で最初のピアノのてほどきを受けたそうです。当時8歳。素質のあった少年は、たったの10歳でパリにある名門音楽院「パリ国立音楽院」の難関入学試験を受け、見事に合格しました。
当時とは全く変わっていますが、現在の音楽院はこのようなモダンな建物。今でも名門中の名門であるここには世界中から若き精鋭達が集まってきて、日々切磋琢磨しています。