The History of My 「第九」🎼
みなさま、コロナ禍で大変なご時世のなか、いかがお過ごしでしょうか。今回ご縁あって35周年記念文集に寄稿する運びとなりました。拙文ではございますが、最後までお付き合いください。
私が最初に第九を歌ったのは忘れもしない(とまではいきませんね、さすがに。ネットで調べました。)平成20年(2008)9月15日、場所は耐震構造上の問題により閉鎖されることなった長浜市民会館でした。これまで数多くの行事が催されてきたこの場所で、最後に感謝の気持ちを込めて第九を演奏しようと長浜市が企画した舞台。長浜市職員で合唱経験者の私にとって、それは血が騒ぐものでした。「俺がやらねば誰がやる」と気高く参加した第九。外国語の宗教曲は学生時代によく歌いましたが、ドイツ語でこれほど長い曲を歌うのは初めてで、新鮮な気持ちで毎回練習に参加したのがつい昨日のことのように(とまではいきませんが)思い出されます。その反面、なじみの薄いドイツ語で歌いながら意味を伝えることの難しさ、テノールにとって難所である上の「ラ」の音をきれいに出すことの大変さに悩まされました。でも、そこは指導者の方が「優しく」「分かりやすく」「根気よく」指導してくださったこと、練習で知り合った共演者の方と仲良くなれたことで楽しく乗り切れました。そして本番、歌っている中で得られたのは今まで経験したことのなかった「た・の・し・い」想いでした。第九はドイツ語だけど日本人に合っているのか?だからこれまで長く日本で第九が演奏されてきたのか?そんな高揚感に包まれながら堂々と歌いきれたのが何事にも代えがたい思い出です。演奏後に「楽しかったです!」と言って指導者の先生とガッチリ交わした握手。その手の温もりが未だに残って(とまではいきませんが…3回目!)いるわけではありませんが、仕事でも歌でも長浜市に貢献できた、そんな貴重な経験を基に参加したのがKEIBUN第九でした。
田中正彦先生、大谷圭介.先生によるご指導は発声をより理解でき、合唱をより楽しめるものでした。練習を通してできた楽しい仲間の方がモチベーションを引き上げてくれました。本番後に会場近くの居酒屋で両親と祝杯を上げることが定番行事になりました。あと「だいく」と打ったら「大工」よりも先に「第九」に変換されるようになった(笑)のは副産物です。今は諸事情で合唱からは離れていますが、いつかまた第九に帰ってきたいですね。